二代目筆談ホステス


 少し足が遠くなっている間に、夜の銀座も随分と様変わりしているように見える。新しいビルは増えたようだが、心なしか道行くホステスさんが少なく、「華」が足りないようにも感じる。景気はまだ暗いのだろうか?
 聴覚障害のあるホステスが青森から上京し、銀座でNo.1に成り上がった半生を描いた物語「筆談ホステス」が発表されたのが、ちょうど昨年の今頃。全国で巻き起こったブームは今でも記憶に新しい。障害があっても立派に働ける、ということを全国の人に印象づけた。そして、その斉藤理恵さんは育児のために一旦は引退…。しかし、もう銀座では新しい物語が始まっていたのだ。


 理恵さんが働いていた銀座の同じ店「クラブM」。その影響を受けて「自分もできるのでは」と、重度の聴覚障害を持っている女性が訪ねてきた。その名を早乙女由香さん(24)。数万人に1人しかいない先天性の重度の聴覚障害を持つ。と同時に、映画「バベル」のヒロイン役に、とアレハンドロ・ゴンザレス監督が出演交渉をしたほどの美貌を併せ持つ。


 女手ひとつで1歳の男児を育てる母であり、日本女子大の通信科で学ぶ学生であり、そして、銀座で働く筆談ホステスと一人三役をこなす由香さん。これまでの壮絶な半生、そしてこれからを、筆談で「ゆかしメディア」に語った。

 サッカーW杯南アフリカ大会で知られることになった楽器ブブセラ。音量は130デシベルの騒音レベルと言われているが、早乙女由香さんには、そのレベルの音も聞こえない。音を知らないまま歩んできたここまでの人生。どんなものだったのだろう。 ―聴覚障害はどの程度でしょうか
 生まれつき、音を知らないので、聞こえないことがもう普通になっていたんですね。一口に聴覚障害と言っても、聴力のレベルの差があって、ほとんどの方は60〜100です。でも、わたしはデシベルで表すと130デシベルのスケールアウト(測定不能)だと診断されました。スケールアウトはあまりいないそうです。

 ―ご家族の支えは
聴覚障害と)診断されてから、この子にはまったく音が入ってこないから、いくら口話を教えても無理だということになって、珍しい指文字、手話教育を行っている東京の足立ろう学校に、わたしを通わせるために、建てたばかりの家を出て上京しました。
 父も仕事をやめて、母も看護婦さんをやめて、兄も急に学校を転校することになりました。わたしは音が聞こえないということがわかってからは、家族のみんながわたし中心に動いてくれました。

 音のない世界で暮らしてきた由香さん。しかし、家族は本当に温かく彼女を全面的に支えて育んでくれた。そんな由香さんも、後に家族を持つきっかけとなる出会いを体験する。交通事故に遭いそうになったところを、ある男性に助けられたのだ。こんなドラマにもないような展開が待っていた。
 ―どんな出会いでしたか
 車で(友人たちと)ドライブをしていた時なんですが、急に動かなくなって、事故に遭いそうになっていたところを助けてくれたうちの一人が彼でした。そのあと、メールアドレスを交換して仲良くなっていきました。


 ―そして子供ができましたが、なぜ別れることに
 彼のDVがヒドく、すごい狭い世界に取り残された気がして。彼は幼少時代に自分が虐待されていたのと、持って生まれた性格がそうだったのだと思います。彼のつきあった彼女さんたちはもっとヒドかったみたいで。


 わたしは聞こえないから、会話が指文字で冷静になれていたので、かなり(DVは)緩和されていたみたいです。結局、彼のDVは治らなかったです。籍も入れていませんし、別れました。


 だが、新たな出会いが待っていた。それは自分と同じような境遇にいた「筆談ホステス」だった。

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