パナソニック・・・どこへ行く


「変えられるものなら、適当な時期に社名とブランドを一緒にしたい」

 昭和52年、大阪府門真市松下電器産業本社を訪れた欧州のジャーナリストたちに創業者、松下幸之助はこう語った。

 当時も今も、社名とブランドがわかれる企業は少ない。「海外市場でマイナスにならないか」との質問に対する幸之助の答えは、“爆弾発言”として周囲を驚かせた。

 それから31年後の今年10月1日。創業90周年の節目に松下電器は社名とブランドを統一し、「パナソニック」となる。

 「100周年まで待てなかったのか」と聞かれた社長、大坪文雄は「今の松下では100周年までもたない。グローバル競争で少しの遅れは致命傷だ」と危機感をあらわにした。

 大坪が海外戦略に思いをめぐらすとき、気になる存在はトヨタ自動車である。創業家を中心に発展した製造業という共通項を持つ一方、トヨタは世界市場で成功を収めているからだ。

 「(海外戦略の出遅れを心配した)創業者の真意を理解していれば、もっと早く社名変更をしてもよかった」

 幸之助の側近だったPHP総合研究所社長、江口克彦はこう語る。

トヨタの創業者は豊田(とよだ)喜一郎。社名とブランドは「トヨタ(TOYOTA)」と読む。神戸大学大学院経営学研究科准教授、長田貴仁によると「海外の人も発音しやすいよう戦略的に濁点を抜いた」という。

 米調査会社インターブランドの2008年版ブランド価値ランキングで、トヨタは昨年に続き世界6位とアジアで唯一ベスト10入りを果たした。これに対し、パナソニックは2年連続の78位にとどまる。

 幸之助が若いころ、英語のインターナショナルからインターを外してブランドをナショナルにしたぐらい、当時の松下には国内市場しか念頭になかった。

 海外市場で飛躍するには「名前が言いやすく、商品のイメージもわく」

松下の名前が消えても創業者の経営理念が薄らぐことは避けてほしい」

 幸之助の孫で副会長の正幸は、こう話す。松下家3代目の正幸は平成12年、現会長の中村邦夫の社長就任時に副社長から副会長となり、財界活動などに専念している。次期社長への就任を見据えて、トヨタでは豊田家4代目の章男副社長がキャリアを積んでいるのと対照的だ。

 トヨタ相談役の奥田碩が「豊田家は求心力。グループの旗だ」と語るなど“大政奉還”へのアレルギーはない。その分、創業家出身者への目は厳しく、関係者は「優秀なのは当たり前。勤勉でなければ(創業家出身者でも)幹部社員がついていかない」と話す。

 トップに創業家と非創業家を巧みに混在させるトヨタに対し、幸之助の娘婿で相談役名誉会長の正治(2代目)以降、非創業家が経営を担ってきた松下。多くの子孫に恵まれた豊田家と松下家の違いを踏まえたうえで、江口は提案する。

 「創業者の血のつながりが途絶えても、(住友グループをつくった)住友家のように『君臨すれども統治せず』といった位置づけを考えるべきではないか」

 社名変更に時間がかかった理由には、松下家への遠慮もあった。創業者一族との関係を再構築し、新たな成長を実現できるか。新生パナソニックの課題だ。
(MSNニュースより)

松下幸之助の理念とはどこへ行ったのでしょう。時代は変わっても根本原理は変わらないと思います。今の大企業に求められるのは創業当時の理念ではないでしょうか。