鳩山家の資金力

 政財界の著名人の邸宅があることで知られる東京・麻布永坂町。小高い丘に立派な門構えの豪邸が立ち並び、鳥のさえずりが響く。超一等地であるこの高級住宅街にある4階建てビルの2階に、鳩山家の資産管理会社「六幸(ろつこう)商会」はある。

 首相、鳩山由紀夫資金管理団体友愛政経懇話会」をめぐる偽装献金事件で世間の注目を集めた六幸商会。もともとは大手タイヤメーカー「ブリヂストン」(東京都中央区)創業者、石橋正二郎の資産を管理する会社として設立された。

 鳩山の母、安子は石橋の長女で、六幸商会は鳩山や弟の邦夫の資産も管理するようになった。名前の由来は、石橋と5人の子供たちの計6家族が幸せになるように、との思いが込められているとされる。

 六幸商会が管理する安子名義の口座からは、平成20年までの6年間で計約36億円が引き出され、このうち14年夏ごろからは鳩山側に月1500万円、年間1億8千万円ずつが渡っていた。邦夫側にも同様に資金提供されていた。鳩山の姉や安子の側近とされる財団法人役員が仲介する形で、偽装献金事件で在宅起訴された鳩山の元公設第1秘書、勝場啓二が資金を受け取っていたという。

 政界随一の資産家といわれる「鳩山家の金脈」をたどると、安子の実家である石橋家に行き着く。

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 石橋は炭坑労働に欠かせないゴム底の地下足袋生産が当たり、その後、自動車タイヤの製造でブリヂストンを一代で世界一のタイヤメーカーに育て上げた。

 安子は、その長女として大正11年に福岡で生まれた。女子学習院高等科で学び、昭和17年に元外相の鳩山威一郎と見合い結婚した。相撲見物で父親同士が知り合ったことがきっかけだったという。

 石橋は安子を鳩山家に嫁がせてから、政治の世界に本格的にかかわりを持つようになった。石橋の自伝『私の歩み』には、威一郎の父で元首相の一郎を中心とした政治家との親密な交流がつづられている。昭和20年に一郎が自由党を結党したときには、麻布永坂町の石橋の家に一郎が同居し、そこで党結成の会合がしばしば行われたという。

 一郎が30年の保守合同自民党を結党して首相に就任した際にも、石橋の資金力がものを言ったといわれている。

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 その石橋から引き継がれたブリヂストン株が、一郎、威一郎、鳩山兄弟と3世代にわたり鳩山家を支えてきた。

 平成17年の資産報告書によると、鳩山は同株を350万株(時価約57億円)保有大田区田園調布の高級住宅街に建つ約678平方メートルの邸宅や軽井沢の別荘、預金なども含めた総資産は、90億円ともいわれる。

 安子は平成3年時点でブリヂストン株1240万株保有時価にすれば200億円を超え、鳩山の保有分をはるかにしのぐ。現在は保有数を減らしたとみられるが、鳩山家関係者は「鳩山さんも金持ちだが、安子さんはケタ外れ」と語る。

 鳩山が住む田園調布の邸宅も安子が買い与えたものだという。安子が作家、佐野眞一の平成8年のインタビューに、こうした事実を明かしている。

 「石橋正二郎からの生前贈与で、六本木の俳優座の裏手に500坪の土地を持っていたんです。当時、六本木がうるさくなりはじめたので売ることを決め、田園調布の由紀夫の家と本駒込の邦夫の家、それに本郷の東大赤門前のビル(邦夫の元事務所)を買いました」

 威一郎も昭和49年に参院選に初出馬した際、億単位の選挙資金を安子から受けたとされる。

 一郎は自由党結党のときに資金を調達するため、文京区にある「音羽御殿」と呼ばれる自宅(現在は「鳩山会館」として一般公開)を抵当に入れた時期もあったというが、鳩山は自らの資産を減らすことはなく、安子の資金力に頼り切ってきた姿が浮かび上がる。

 安子は今、都内の高級賃貸マンションの最上階の部屋で、ひっそりと一人で暮らしている。

 政治家一家である鳩山家のために、息子のために潤沢な資産を惜しみなく注いできた安子。その“善意”が「偽装の源流」となった。
(敬称略)

MSN産経ニュースhttp://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/091226/crm0912260100000-n1.htm