心で決めた最後のパット

最後のパットに、悩み、苦しんだ、この4年間のすべてが詰まっていた。

 プレーオフ1ホール目。勝利のかかったバーディーパットは、わずか1メートル。しかし、パターを握る手は激しく震えていたという。

 「この4年の、ものすごい重みとプレッシャーを感じた。あれだけ震えたことはなかった」

 国内ツアー初優勝を飾ったのは、東北高時代の2003年。それから、「天才少女」の呼び名との戦いが始まる。米ツアー本格参戦初年の06年には最高3位をマークし、ベスト10入りは常連。1メートル55の小さな体で、次々夢をかなえる勢いに、ファンも自身も酔った。

 しかし、風はやむ。07年にはパットもドライバーも確信が持てず、「今まで通りにいかない現実との葛藤(かっとう)があって、正直苦しかった」と、藍ちゃんスマイルも消えた。

 国内で勝ち続けてきたのに、米ツアーではつまずきの連続。天才のプライドが、弱気になる自らのハートに我慢できない。そんな苦悩から見つけた出口が、「素直になること」だった。

 ありのままの自分の力を認め、それを出しきることに集中する。周囲の声、状況に惑わされず、フェアウエーをとらえ、バーディーを狙うことだけを心に刻む。そして、優勝目前の、しびれにしびれた最後のパット。

 「しっかりストロークすることだけに集中したら、震えもコントロールできた。人間的に成長できたことが、大きかったんだと思う」

 心で打った勝利へのボールが、まっすぐカップへ沈むと、耐えてきた苦しみが歓喜の滴となって、24歳の黒い瞳にあふれた。
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